セロトニンの効果と不足することによって起こること。

睡眠剤に四秒以内にボタン押しをしないと、火災報知器の音が鳴りひびき、足に電気ショックがかかるようにしてボタン押し反応を動機づけする右のb図のようにレム睡眠の反応率が飛躍的に改善される。刺激のもつ意味によって反応の正確さが大きく変わるところが、レム睡眠の特徴である。雷が鳴っても目ざめない母親が、わが子の泣き声ですぐに目ざめるという。母親の愛情の深さをたたえるたとえであるが、レム睡眠ではこのことがいっそうはっきりとあらわれる。
レム睡眠が睡眠中、 一時間半ごとにくりかえしあらわれることは、必要なときにいつでも目ざめるチャンスを確保するうえで有利であり、刺激の意味によって選択的に応答することも、睡眠の維持と安全管理という矛盾した課題の解決に役立っている。ぐっすり眠るために、しっかりした見張り番を立てる。むだに起きたりしないように眠らずに環境情報を処理し、起きるかそのまま眠りつづけるかを判断する。わたしたちの脳はつねに矛盾した二つの作業におりあいをつけ、なんとかどちらの希望も受け入れるところで、気持ちのいい眠りを実現しているのである。

 

眠りを中断させた動物の血液や脳脊髄液を精製したり、朝一番の尿を大量に集めて分析するなど、自然の眠りをもたらす脳内物質の追究は精力的にすすめられている。睡眠薬のほとんどは、覚醒中枢の活動をおさえて眠りやすい状態をつくっているもので、睡眠中枢に直接はたらきかけ、これを活性化して睡眠を引きおこすというものではない。そのため、できるだけ自然の眠りに近い状態をつくるように改善がすすめられているが、習慣性や副作用などについて専門的な知識が必要である。これらの問題を解決するためにも、睡眠物質の解析がおこなわれており、この分野での日本の研究者の活躍はめざましく、世界を大きくリードしている。断眠(睡眠遮断)させたラットの脳から睡眠促進物質を抽出し、その有効成分がウリジンとセロトニンであることをつきとめている。ウリジンはセロトニンではたらく鎮静系の神経活動を強め、セロトニンはグルタミン酸ではたらく興奮系の神経活動を抑制する。ここで興味深いことは、酸化のもとになる過酸化物質が分解されてセロトニンが生成されることである。脳内に発生する過酸化物質は毒性物質であり、細胞死の原因となる。セロトニンは脳内の解毒過程にかかわりながら興奮をしずめ、睡眠を促進する。眠りは脳の解毒過程であるという睡眠毒素説は、 一時期、古典学説として否定されたり無視されてきたという景があります。もう一つ、わが国のすぐれた研究成果は、京都大学の早石修教授らのグループが発見した、プロスタグランジンD2とプロスタグランジンE2である。プロスタグランジンD2はヽ脳周辺の膜組織(くも膜、軟膜)と脳室内の脈絡叢に存在し、脳脊髄液の循環システムにのって視床下部の前端にある視索前野に到達する。視索前野はノンレム睡眠の中枢として重要な部位であり、ここにプロスタグランジンD2が作用すると、睡眠を引きおこすシグナルが発信される。この信号は、脳内の睡眠物質候補として有力なアデノシン調節系に伝えれ、自然な睡眠が進行する。一方、E2のほうは体温を上昇させ、覚醒水準を上げるはたらきをする。眠気をおさえ、日中に高い覚醒を維持するのはE2の役目である。

 

 

 

セロトニンが不足すると不眠症や夜眠れない原因に

最近、セロトニンの情動脱力発作に、ドーパミンの覚醒維持効果が抑制的にはたらくことがわかり、注目をあつめている。この情動脱力発作はカタプレキシーともよばれ、笑ったり大喜びすると全身の力がぬけてしまうものである。ナルコレプシーという過眠症の主症状の一つで、気分が高揚すると姿勢が保てずに、くずれ落ちるように倒れてしまうので、たいへん危険な発作である。この発作をプロスタグランジンE2でおさえることができるということは、この病気のメカニズムを解明し治療を考えるうえで画期的な研究成果といえる。睡眠物質の候補としては、およそ三〇の物質があげられている。免疫物質もかなりの数が候補にあがっており、不眠症の生体防御系やそれに関連した体温調節メカニズムなどが、眠りと関係の深いことがわかる。また、話題のメラトニンは、睡眠を引きおこす力はあまり強くないが、生物リズムを適正に保つ効果があり、時差症などのリズム障害に役立つのではないかという期待がもたれている。同様のリズム調整物質として、ビタミンB l2も極端な夜型(睡眠相後退症候群)の治療に効果があるという報告がなされている。まだ本格的な不眠症に関する基礎研究がはじまったばかりであり、いますぐに自然の眠りを引きおこし、っすりと眠ることができるという薬は完成していない。今後の開発研究が待たれるところだが、三〇におよぶ物質が候補にあがるということは、眠りのメカニズムはさまざまな生理メカニズムに関連し、けっして単純な構造にはなっていないということをしめしている。ある物質は侵入した雑菌を材料として分解・合成したものであったり、脳内の毒物を原料にして生成されたものもあったりする。たくみな物質循環としたたかな生存戦略が、眠りのしくみに組みこまれていることがわかる。